シーザーサラダ誕生に関するいくつかの謎

一昔前はレストランで食べるサラダといえば、ポテトサラダかシーフードサラダが定番でしたが、いまやどこへ行ってもサラダといえばシーザーサラダです。

名前を口にするだけでリゾート気分

なにしろ「シーザーサラダ」という言葉の響きからくるおしゃれ感がハンパありませんからね。
シーザーサラダと発するだけで、近所のファミレスがあっという間に海辺のリゾートに早変わり!ってくらいのトロピカル効果満点です。
何が入っているのか、ドレッシングの味付けがどんな具合なのかもいまいち定かでない人も中にはいるかもしれませんが、レストランでも居酒屋でもとりあえずシーザーサラダを注文しておけばOKでしょう、みたいな風潮すら感じられる今日この頃です。

ちなみに、シーザー「ス」サラダではなく、シーザーサラダが正式(?)名称です。
英語表記では「 Caesar Salad 」です。

メキシコ生まれのアメリカ育ち

シーザーサラダが誕生したのは1924年。7月14日と、日付まで特定されています。
場所は、メキシコ北西部の都市ティファナのホテル「シーザー・パレス」。

ティファナ(ティフアナと表記する場合もあり)は米国カリフォルニア州と国境を接する地域です。太平洋を西に臨み、国境を越えれば軍港で有名なサンディエゴまで車でわずか15分。映画の都ハリウッドを抱えるロサンゼルスも車で3.5時間。今もアメリカからの日帰り客で賑わう人口164万人の大都市です。

そんなティファナのレストラン・ホテルのオーナー、イタリア系移民シーザー・カーディーニ(Caesar Cardini、カルディーニと表記される場合もあります)がシーザーサラダの生みの親と言われています。
当時、アメリカは禁酒法時代。米国国内での飲酒は法律で禁じられているため、わざわざ国境を越えてメキシコまで酒を求めてやって来るアメリカ人たちでティファナの町は大賑わいでした。
カーディーニのレストラン・ホテルも大勢の客で繁盛していましたが、7月14日の夜は運悪くレストランの材料がほとんど底をついてしまいました。
そこでカーディーニが一計を案じて作りだしたのが、今日「シーザーサラダ」と呼ばれることになった料理の原型であるといわれています。

ありあわせの材料を使って客の目の前で実演

カーディーニが用意したのは、ロメインレタスとガーリックオイル、レモン、卵、パルメザンチーズ、ウスターソース、クルトン、そしてコショウ。
それだけの材料をカートに載せて、客のいるダイニングの中央に進み、鮮やかな手つきで混ぜ合わせてサラダを作り上げました。

ちょっと酸っぱめのドレッシングにチーズとクルトンのトッピングは、想像するだけで食欲をそそられる組み合わせですね。

あり合わせの材料をうまく組み合わせて料理に仕立て上げた腕前もさることながら、今にして思えば客の目の前で実演して見せたカーディーニのパフォーマンスが好評を博したのでしょうね。
シーザーサラダといえば、今でもチーズを摺って振りかけたり目の前でレタスとかき混ぜたりと、テーブルパフォーマンス込みで楽しむメニューになっています。

というわけで、その日、客にふるまわれたサラダは一夜にして伝説となり、西海岸から全米へ、そしてヨーロッパにまで広まっていきました。

考案者シーザーはロサンゼルスに移住して大成功

メキシコで生まれ、アメリカで人気を博したシーザーサラダですが、考案者であるシーザー・カーディーニは14年後の1938年にホテルを売り払い、ロサンゼルスに移住。
グルメストアをオープンして、瓶詰めにしたオリジナルドレッシングの販売を始めたそうです。
もちろんシーザーサラダの考案者が作るドレッシングですから売れ行き好調。
10年後には娘のローザと共に会社を作り、さらに手広くドレッシングの販売に乗り出しました。
シーザー・カーディーニは1956年に亡くなりますが、彼の肖像画がラベルに入ったオリジナルドレッシングは今もアメリカ中で愛され、スーパーでもオンラインストアでも手に入れることができます。

シーザーサラダにまつわる異説その1

と、ここまでは「シーザーサラダの歴史と現状」というサイトで詳述されている「定説」ですが、調べていくとシーザーサラダ誕生にまつわる別の説も発見したので参考までに記しておきます。

一つ目は、シーザーサラダの生みの親は、シーザー・カーディーニではなく、彼の弟のアレックスだという説です。
アレックスがあり合わせの材料でサラダを完成させたのは「定説」のストーリーと同じですが、サラダの名前はシーザーサラダではなく、ホテルの近くに飛行場があったことから「飛行士サラダ」と名付けたそうです。それが後に兄シーザーの名を冠して「シーザーサラダ」と改名。アメリカから世界へと広がったという話です。
出典:『生活を変えた食べ物たち』 シャーロット・F.ジョーンズ/文 ジョン・オブライエン/絵,晶文社,2000.7 (p13~14「シーザー・サラダ」) レファレンス協同データベース

上記資料では、サラダの生みの親アレックスはアメリカ人となっています。
一般に、シーザー・カーディーニ(カルディーニ)はイタリア系移民のメキシコ人というのが「定説」ですので、アレックスがシーザーの弟であれば彼も同じイタリア系移民のメキシコ人のはずです。この点でも異説・新説といえますね。

禁酒法の時代に酒を求めて国境を越えて来るアメリカ人たちに目をつけて、アメリカ人のカーディーニ兄弟がメキシコ側の都市ティファナでレストラン兼ホテルを開業。狙いが当たってビジネスに成功し、さらオリジナルサラダを考案して歴史にも名を残した、というストーリーもなかなか魅力的ではあります。

シーザーサラダにまつわる異説その2

シーザーサラダが生まれたレストランの名前も、「シーザーパレス」ではなく「シーザープレイス」である、という説もあります。
メキシコのティファナに今もある「シーザープレイス」でオリジナルのシーザーサラダを食べた人のレポートもあります。
【異次元グルメ】シーザーサラダ発祥のレストランで「シーザーサラダ」を食べてみた!

シーザー・カーディーニがロサンゼルスに移住する際にホテルは人手に渡っていますが、世界一有名なサラダの発祥の地になったということで訪れる人も後を絶たず、ホテルもレストランも大変繁盛している様子。
現地を訪れた人のブログや旅行サイトのレポートをチェックすると、ホテルの名前は「 HETEL CAESARS 」(ホテル・シーザーズ)ですので、レストランの名前も時代によっていろいろ変遷した可能性もなきにしもあらずですね。

シーザーサラダにまつわる異説その3

もう一つ、シーザー・カーディーニがサラダを考案した日付が、定説の7月14日ではなく、7月4日だとする説もありました。
7月4日といえば米国の独立記念日です。
独立記念日のパーティーのために国境を越えてドンチャン騒ぎをしに来た西海岸の若き成功者たちの目の前で、シーザー・カーディーニ(もしくは弟のアレックス)があり合わせの材料でそれまで誰も口にしたことがないオリジナルメニューのサラダを作り出し、一躍脚光を浴びる—そんなハリウッド映画のような出来過ぎたストーリーであれば、それはまたそれで面白そうです。

ちなみに、英語表記の「 Caesar Salad 」からもわかる通り、シーザーというのは「カエサル」とも読み、かのジュリアス・シーザーの「シーザー」と同じです。
このことからジュリアス・シーザーの好物だったから「シーザーサラダ」と命名されたという珍説もあるそうですが、これはかなり眉唾物ですね(笑)。

誕生からまだ100年も経っていないにも関わらず様々な異説・珍説が交錯するシーザーサラダ。
そんな伝説に思いを馳せつつ、シーザー・カーディーニのオリジナルドレッシング(肖像画入りラベル)で作った本場のシーザーサラダを味わってみるのもいいかもしれませんね。